近況報告。

現在、未読メールが422通。
昨日、電車の中から猿の群れを見た。
昨日、新たに本を3冊購入。
シェイクスピアの生まれる500年も前のペルシャの学者の詩集。たった4行からなる詩集。
そのなかの一つが、シェイクスピアハムレットの語る死後の現実についてと同じ意見だった。

「死んだらおれの屍は野辺(のべ)にすてて、
 美酒(うまざけ)を墓場の土に降りそそいで。
 白骨が土と化したらその土から
 瓦を焼いて、あの酒瓶の蓋にして。」
                   byオマル・ハイヤーム

ハムレット 「土に帰れば、人間どんなあさましい用に使われるか知れないな。想像をたくましくして、アレクサンダーの高貴な土のゆくえをたどった揚句、それが今は酒樽の栓になっているとわかっても、なんの不思議もないだろう?」
ホレイショー 「それはちと考え過ぎと申すものでしょう。」
ハムレット 「いや、少しも考え過ぎなんかじゃない。ごく控え目に大王のあとを追って、ありえそうな成れの果てを思ってみたまでのこと。つまり、こういうことさーーアレクサンダーが死ぬ、葬られる、塵に帰る、塵とは土だ、その土から粘土が出来る、そしてアレクサンダーが変じたこの粘土でビール樽の栓がつくられる。この推理、おかしいか?」
                  byシェイクスピア

興味深い事に、前者はイスラム教で後者はキリスト教
けど、どっちも、宗教的に見ると信仰しているモノからずれて異端な価値観。
500年の時間差、ペルシャとイギリス、イスラムとキリスト、趣味の詩人と職業の詩人、全く接点の無い者が同じ意見に辿り着くのは、興味深い。
オマル・ハイヤームは科学者で、死後数十年、友人達には知られていた彼の詩集がペルシャで広まり、死後800年イギリスの詩人FitzGeraldの手により翻訳され250部自費出版されて、徐々に世界に広まっていった。


けど、現在なら、粘土なんて使われなくなったから、この「自然に帰ってまた人の手で何かになる」という考え方にすら辿り着けない現実がある。
考えてみてよ、100年後、コンクリートに混ざるための一握りの塵になるなんて。
酒樽の栓になる可能性が残されてた彼らが羨ましい。
自分らに残されてる可能性は、せいぜい、ガラスのボトルのアルミの蓋をキリキリ言わせて開ける瞬間がもう暫くはあるってこと。
近いうち、誰か飲みに行こうぜっ!