今日は一日何もせず。
起きて、飯を食って、いつの間にか夜になって、また飯を作って、食って、その繰り返し。
小説を読みました。
フラニーとゾーイー
なんかこれめちゃくちゃ好きです。サリンジャーって人気ありすぎて、かなり敬遠してたんですが、この前バナナフィッシュっていう短編を読んで、おもろかったので、「フラニーとゾーイー」を読む。
なんていうか、信じるモノがある人はやっぱ救われるんだなって思った。私は間違いなく、フラニーという疲れきった20歳の女子大生に共感しきってたけど、読んで行くうちにその兄のゾーイーも好きになった。ゾーイーが話して聞かせる説教が、明確な言葉すぎて時々泣きそうになる度に、先にフラニーが泣き出して大きな音で鼻をかむ。たったそれだけの事が、読者と作者と登場人物の間に、自然な隔たりを作ってくれて、不安定な内容なのに、安心して読めた。頭よすぎだ、この作家。

途中、そう言えば爆笑問題がテレビで読書のススメだっけ?なんかそんな番組をやった最終回に、太田が、死ぬ前にコレを読めって紹介してたのがこの本で、その映像をyoutubeで探してみたけど、見つからなかった。
けど、なんかあの説教くさい政治的な番組、なんかテーマをだして賛成か反対を話して投票していく爆笑問題の番組(タイトル知らん)の映像が何個もあって、そんなかでイジメについて話してるかいがあって、太田が自殺の何が辛いかって、自分の事を少しも好きになれない事だって言ってたのを聞いてちょっと考えた。
自分の事を好きになる事がめちゃくちゃ無理な時、どうすれば良いんだよ?って思った。
テーマ的にはこの小説もまた同じで、結局何かを信じない人間は、頑張り様がないじゃねぇかって思った。
狂信的に黙々と写真を撮り続ける自分と、そこに目的を見いだせていない事が、主人公の祈りに頼る事とどこか重なって、ちょっとばかし悲しい感じだった。「やがて、そのうちに、量がひとりでに質になる。」って信じてただ目的も無く祈り現実から逃げ出そうとするフラニー。でもね、その質の価値が解らなければ、結局それは時間の無駄なんだよね。誰の為に、何の為に、ってのは人生においてとても重要って事か。母親が心配して持ってくるチキンスープの価値が解らない限り、祈る意味など無いといいきるゾーイーが、羨ましいよ。