酔った頭で考える。
今から写真を撮りに行くべきか、それとも、このまま布団に潜るべきか。
写真を辞めるなら今だという直感と、結局また撮り始めんだよという声、どっちを信じればいいんだろう?
生き方を変えるタイミングは何時なのか?
表現者になど、なりたくない。
写真で人を救えるか?写真が自分を救えるか?
悔しいほど悩む。
酔った頭じゃ、答えでねぇよ。
映画「ゆれる」を見に行った。
ゆれてた。
ゆれてたけど、オダギリジョー、それ以上に今の自分は揺れてるんだよっ!
いや、面白かったです。好きです、あーゆーの。ちょっと、あの最後まで描いて落とす感じが日本映画だなって思った。あの暗さは、フランス映画に匹敵するけど、でも日本映画って元々めっちゃ暗いから、久々に日本映画を見たって感じ。若さを感じさせるんだけど、才能のが勝ってたかな。でも、少し絵が写真的だった。
主人公が写真家って少し見ててしんどかった。でも、自分の人生が映画なら、この監督に頼みたいなって感じの映画でした。自分の人生、映画の中だけなら良かったのに。

雨です。ずっと。
雨の中傘を差さずに帰ってきたから、髪の毛がしなってます。
写真を撮りながらの映画の帰り道、雨の中傘をささず、カメラが急に動きが止まって、焦りました。壊れたんだ、どうしようって。色々考えました。このまま、写真を辞めるチャンスだっ、とかヨッシーにカメラを見てもらうか?っ、明日同じモノを購入しに探し回るかっとか。でも、雨の中、電池を入れ替えたら、直りました。一瞬、本当に、このまま写真を辞めるのかと思って、闇の中でした。写真、好きなんだよね。辞めたくないのかもね。写真、辞めても、光は無いのかもね。
根性が欲しいです。
写真を辞めるための。

映画なんかより複雑な人生です。写真なんて、、、何もできないじゃん。




道を歩いてて、黒い爪の下駄の人がいて、写真を撮らせてもらったら、同じ学校の留学生の人でした。お互い少し顔を知ってて、あっって感じでした。で、喋ってたら、変な日本人が英語で喋りかけてきて、何故か、自分に対しても英語で喋てきて日本人だってばって感じでした。よくよく聞いてみると、京大のプロフェッサーだって言ってました。言語学の。え?じゃあなんで英語しか喋らないの?って感じでした。言語とは意思を伝えるためと、自分を知るためのツールに過ぎないのに、なぜそんなにこだわるのか変でした。英語、好きだけど、日本語の美しさには劣るよ。言語学とは結局、音と表音文字に縛られた哲学なんだよね。日本人の使う漢字のような特異な表意文字と音の両立は滅びて行くのかな?絵を言葉としてしか見ない人種は、稀だと思うよ。絶対、その延長線上に、脳の発達が見える気がすんだよね。
まー、そんなことはどーでも良いけど。
妙な一日でした。明日も学校行くと思うよ、たく〜ん。

カメラの電池を補充しないとね。