昨日と今日。

変な日でした。すんごい充実な休日でした。
昨日は午後から師匠とるんとたくと卒展会場である企画の相談しました。先輩方の卒展の内容より衝撃なこの面子、結局我が家で飲む事になり、掃除して中華とお好み焼きテイクアウトで買ってきて飲みました。楽しかった。おかげで、寝坊して諦めていた家の中の掃除をできて良かったです。
今日は、名古屋へ行きました。名古屋ボストン美術館というところでアンセルアダムズの展覧会を見てきました。やばかった。アンセルアダムスを、人としてみた事無かったよ。20歳頃からの作品もあり、最初は誰でも上手くはないんだという事を知りました。なんか、励まされた気分。自分が撮影したときのイメージを何十年も頭に浮かべて1枚の写真を完成に近づけて行く執着心、そして出来上がった時や、イメージ通りの撮影が出来た時の喜び、写真が好きだし楽しくてたまらないという感じでした。なんか、写真集とかポスターとかで見ると、すごい教科書的な写真を撮る怖い感じの人なのかと思ってたけど、生で見ると違った印象を受けました。しかも、細かいね。50年も写真をやるとその中で好みも変わっていくんだけど、それでも自分の好みの写真に仕上げて行くって凄い事だなと思います。写真自体もプリント技術もまだまだ平凡から抜け出ない20歳、写真家になる事を決めた28歳以降、嵐の去った山の写真を撮った撮影者としてのピークを迎えたのであろう35歳、プリント技術を高めて行った40代、写真に向き合う時間の中が有ってのアンセルアダムスという作家なのだと知りました。いきなり、あんな厳ついかしこまった写真家として存在した訳ではないみたいです。20歳から35歳までの15年間、特に写真家になると決めてからの数年間はやっぱすごい技術にしても中身にしても成長を遂げたように思えます。
15年かぁ。自分15年後何してるんだろう。15年写真を続けたらどんなプリントをしてどんなネガを作るんだろう。気になります。でも、写真やめてると思うけどね。
それでも、頑張れば写真って上手くなるんだなって思いました。10代最後の時間を写真に費やせてよかった。3年も経てばきっと今と違う物の見方をしてるんだろうけど、そのとき写真を撮り続けているのか、アル中にならずに居るのか、生きているのかすら解んない未来ですが、のんびり写真する事が出来ればどんな人生になるんだろうって思ってしまった。
実際、この1年暗室作業に関して言えばものすごい進歩を遂げたと思う。ちょうど、1年くらい前は、現像失敗したりちょうどRCプリントをマスターし始めた頃です。大学に入って後期過ぎてから暗室作業を始めて1年ちょい、2年目はどうなるんだろうね。思えば、バライタを授業で習って1ヶ月もしない頃、無謀だと言われながら作った人物課題、今考えると冷や汗が出る。今だったら無謀だという理由で、頑張らなかったと思う。でも、よく考えたら、歩けるようになってすぐに走り出せる人って居ない訳で、歩けるようになってジャンプが出来て始めてスキップが出来る訳で、むしろたつ事から始めなきゃいけない訳で。よく観察すれば、どんな人間も同じ時間の流れを与えられてるし、早さは違えども順番に進んで行く訳で、その流る早さに目を回してる自分が居ました。でも、振り返らなければ、別に流れなんて気にならないよね。この1年の時間の流れをまた自分に求める事は出来るんだろうか。やっぱり、走ってたいです。くよくよ悩む事なんか、最初から選択肢に入ってないってことに気がつきました。中途半端な立ち止まり方など、最初から許してもらえる程楽なもんじゃ無いって事。人生って過酷だよね。
アンセルアダムズ、よかったです。連れて行ってくれてありがとう!
人生初のミソカツが衝撃でしたが、そんな事忘れさせる程、アンセルアダムス展よかったです。