北陸線強風のため終電30分遅れ。ホームではその間、ソンタグの写真論は15ページしか進まんかった。

実家の自分の部屋は止まった時計と2002年11月からめくられていないカレンダーが壁にかかっているのみで、一体今が何時なのかと言う事がさっぱり解りません。動いてても正確ではない文字盤の時計なので、基本的に時間と言う物が存在しません。おかげで、寝坊しました。起きた時、明らか来客中の音、母とその知り合いの声、人の枕元で鳴く猫の声。来客中なら、帰るまで寝たいと思ったのに、さすがに猫に顔を踏まれたときにはこれ以上寝てられんと思い起きました。
で、午前中は来客用に用意されていたコーヒーと、客が持ってきたのであろうマドレーヌみたいなのを食べつつ、パソコンに向かっていました。何をしていたのかと言うと、買い物です。親のカードを借りて。アマゾンでダイアン・アーバスの回顧展図録と、ラングストンヒューズの詩のCD(たぶん本人朗読)を購入。で、他のネット本屋でダイアン・アーバス「ライブラリー」って本購入。2万ぐらい消えました。
午後は、散髪へ。行く15分前に電話して、ほぼ予約なしでちゃちゃっと切ってくれてありがとう。予約のお客さんの合間にすごい早さで剃り&ライン&梳きをこなしていく姿はまさにシザーハンズでした。美容院から出ると、急に雨。思わず走って駆け込んだバス停にきたバスに乗りました。家と反対方向へ行くバスだったけど。バスは高校の前を通り福井駅前へ。スクールバスが通った道だし、この季節は特に良く利用したバスやし、かなりセンチメンタルな道筋でした。駅前のロフトで買い物をしました。またも本屋でいろいろ購入。ロフトでばったり高校時代の友人に会った以外は、珍しく感動的な再会も少なく、良い休みでした。
帰りは、荷物がやたら重かったです。本が七冊くらいと、さっき買ってきた外付けハードディスクと、パソコンと、カメラと、さすがに1個の鞄にぶち込むのは鞄の耐久性から言って不安なので、パソコンだけ別持ち。
電車が来るまで、今日購入したスーザン・ソンタグの写真論を読んでました。難しかった。なんか、思ってたより面白くて、でも3回は読まないと理解できないです。漢字を飛ばして読んでるわけじゃないのに、頭に入ってこない感じ。同じページを何度も読んだり、戻ったり、時には紙に書き出してみてやっと自分の中に定着するぐらい難しい。きっと簡潔に述べ過ぎなんだろうね。もっとも過ぎて、難解。これは英語で読んでもこんなに難解なのかと疑いたくなる程、難しい。意味を気にせず通り過ぎるのが困難なくらい、言ってる事は面白いしね。これを愛読書っぽく語っていたゴッティーっていう先生はきっと頭良いのか、理解したふりをしてるだけか、どっちなんだろう。

この休みで、やっと自分の中で何かが落ち着いた。さすがにカメラを持ち歩ける程余裕のある人生じゃないけど、今日はいつかこの風景をカメラに収める事が出来るかもなって思った。汚い地下道を黄色いランドセルの大群が角を曲がって行くのを見て思った。
家を出る直前までドラムを叩きながら、もう10代の感性は消えたなって思った。10代の感性を手放す時期に学校という場所に居る事は良くないかもなって思ってたけど、むしろ学校の流れの中で良かったんじゃないかって思える。向き合えないもん、きっと、手放せない。ガキの感性なんて、ほんの少しも残してないから、やっぱ8月の写真はあの頃のように焼けないけど、この10代の感性ってフィルターのかかってない目で見渡しても、思ってたより悪くないから安心。今はただ、早く暗室に戻りたい。
しかし、それにしても時間掛かったな。1晩で切り替えれると思ってたけど、そうじゃなかったね。時々、自分がまだこの年齢だってことを忘れて、自分をどっかに置いてきてしまう事がよくある。自分自身に、置いてかれる感じ。解る?たぶん、写真とか撮ると客観的に自分を見すぎて、他人のような感覚、カウンセリング相手のような扱いをしてしまうんだよ。だから写真って嫌い。
明日、日付は今日か、暗室です。楽しみです。あと1ヶ月、10代の感性を手放す最後の仕上げです。上手くやれれば、写真に満足できるかもね。誰になんと言われようと、もうチビでもガキでもない時代にやっと突入できる。早く、暗室のパッドの前に立ちたいな。昨日から、ずっと暗室の中で作業している感覚が浮かんでくる。酔っぱらってないよ。たぶん、いかれてんだ、ちょっと。